闇の奥を覗く
- yohane83
- 2022年2月21日
- 読了時間: 2分
更新日:2023年4月1日
私の作品をご覧いただいた方で、「どうしてあなたの写真は暗いものばかりなのか?」というご質問をいただくことがあります。そういう時、私は決まって答えに窮し、しばらく沈黙した後で、たぶんそれは自分が根暗だからなんだと思います、と半ばあきらめたように答えています。自分の作品に興味を持っていただくことは非常に嬉しいのですが、私の写真の根底にあるもの――すなわち孤独を説明するのは大変に難儀なことなのです。
かつてニーチェが「昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか」と述べたように、大抵の場合それは理解しがたいものです。また、人によってその深さはさまざまであり、地底深くまっすぐに伸びた深さもあれば、暗渠のように入り組んだ深さもあります。それにその「夜の闇」を説明するためには、一度そこに深く潜って再び傷だらけになりながら戻ってくる必要があります(時々、暗闇からひょっこりと黒い犬が現れて、鋭い牙を容赦なく向けたりするのです)。だから、私は足を踏みいれるのを恐れ、失礼を承知の上で申し訳なくそう答えています。
写真を撮るときは、その「夜の闇」に足を踏み入れているわけではなく、無意識に立ち現れた意識の流れのようなものを切り取っています。その行為はどちらかというと救済に近く、写真を見返すと言葉にならない安堵感がこみ上げてきます。たぶんそれは、私だけの世界がそこにあるからなのでしょう。ジョゼ・サラマーゴの『あらゆる名前(原題:Todos os Nomes)』の主人公のように、世界を通してひっそりと人知れずに自己の存在を再確認しているのだと思います。
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